やめるんだーバイキンマン!

胸くそ悪いことがあったなー。

人の気持ちを踏みにじる様な。

自分は同じことをしないように気を付けよう。

 

「やめるんだーバイキンマン!」ってあるよね。

ハヤパンマンの名前の元になったあの作品。

有名な話?で「悪いのはバイキンマンの人格ではなく、バイキンマンの行為」だと。

罪を憎んで人を憎まずと。

 

うまくいかないとき、落ち込んでしまう。

人間だから当たり前かと。

それは自分自身が否定された気がして落ち込んでるけど、気にすべきは自分がした行動の何かが適切じゃなかった場合がある、ということ。

 

また、うまくいったときは舞い上がってしまう。

これも人間だから当たり前かと。

しかし、自分の行為が良かっただけで、それが自分の人格自体を評価されている訳ではない、ということ。

 

変に落ち込まず。

変に舞い上がらず。

自分を自制することは難しいだろうけど、こうやって理解しておけば少しは落ち着けるんじゃないだろうかね。

優しい世界

ども、ハヤパンマンです。

 

今回のタイトル「優しい世界」。

これを入力する際に、素で「やらしい世界」って手が動いていたのはご愛嬌w

 

前まですごく大変だった。

今はあまりそう感じないってことは、周りの環境にも恵まれているのだと思う。

 

その中で自分が感じた法則?というか原則というか。

そういうものを書き記しておこうかと。

生きることを円滑にするためのミソそいうか、そんな感じ。

 

二つあって、まず一つは、

『言いづらいことは先に言う』

 

これって、当たり前かもしれないけども、たぶん円滑にするために必要なこと。

言いづらいことってのは、自分の非だったり、相手の不都合だったり、そういうこと。

もし世の中の「理解」って言葉に感情的理解と論理的理解があるとすれば、自分は論理的理解しか(ほぼ)出来ないと思っている。

感情的理解も全てロジックで理解する。

だから、感情的な作用はよく分からないんだけども、誠実さだったりそういったものがうまいこと働くんじゃないだろうかね。

 

自分的に、

・言ったら「いや、いいよ。気にしないで」って言われるだろう

・実際言ったら「いや、いいよ。気にしないで」って言われた

・でも言わなかったら、めちゃくちゃ怒られる

って面白いと思う。

 

 

二つ目。

『自分のやりやすさより、相手のやりやすさ』

 

人それぞれに特徴があって、それは意識と行動で変更できると思うけど。

でも、根底にある性質のようなものは変えようが無く、それを変えようとするとストレスがかかると思ってるんよね。

で、適地適作?餅は餅屋?

いろいろな言葉にあるように、それぞれの性質を生かすことが一番世の中がうまくいくような気がしてて。

 

例えば、人が二人いて。

それぞれが自分のやりやすいようにと考え行動していると、お互いに衝突を生むかも知れない。

でも、同じように人が二人いて。

それぞれが相手がやりやすいようにって意識して行動してたらどうだろうか?

衝突は生まれないかも知れない。

もしくは、それぞれの性質が生かされて、いい効果を生むかも知れない。

自分の経験、様々な人と仕事をすることで、そんなことを考えるようになってきた次第です。

 

逆に自分がストレス感じてるってのは、自分にベクトルが向いてる証拠かも。

自分の考え・行動が自分本位でなかったか?

相手のことを考えられていたか?

そう考えるのも重要かもしれない。

『命、支援、募金』

いろいろと思うわけです。

 

今日久しぶりに髪を切りにいった。

ここ最近は「髪型をいつもと違うものに」を目標に、髪を伸ばしてみたり、ジェル使ったり、ワックス使ったり・・・。

でも、さすがに長くなりすぎたので、切りに行った次第です。

 

で、たまたま仕事先の近くに床屋があったから寄りました。

まぁ、なんというかそろそろ50年目に入るらしいところで、老舗という感じ。

今までで一番丁寧な散髪・顔そり・マッサージを受け、今後はココに通おうと思うぐらいファンになるという素敵なお店でした。

 

店主がこれまた面白い人で。

初めて行った床屋さんですよ?

大体最初の話題ってあるじゃない?

天気とか、仕事とか、ニュースとか、経済とか?

なのに、第一声「孫がウクライナにあるバレエ学校へ行っててですねぇ。暖かいものを送れって言うんですよ」って。

ぽかーーーん。

 

話を聞いていると。

小学校からバレエをしていた孫娘が、8月からウクライナのバレエ学校に行ったと。

ウクライナは北海道ぐらいの緯度にあり、今の時期はすごく寒い。

でも、国自体がそんなに豊かじゃないのか室内の設備が整っておらず、毎晩毎晩寒い思いをしているらしい。

毎日バレエの稽古をしており時間が無く、かつ、どこで何を売っているか分からず送ってくれとお願いしたそうな。

本人もすごく活躍しており、頑張っているって話を聞いて、「それは送ってあげたくなりますよねぇ」とか話しながら・・・。

 

最近仕事しててさ、「命」とか「支援、募金」とか考えるんよ。

ウクライナの話を聞いて、日本は恵まれてるなぁっと。

 

まず「人の命は平等に尊い」と定義する。

まぁ、あながち間違っては無いだろうし、倫理観にも則しているだろう。

「ぽっ」と新しい命が誕生した。

それは、日本?ウクライナ?アフリカ?

 

日本に生まれた自分は、衣食住に苦労せず生活が出来てる。

もちろん同じ日本に生まれた人同士でも貧富の差はあるが、死ぬなんて事はない。

 

もし、アフリカの地域に生まれたら、衣食住に苦労せず生活が出来ていただろうか?

貧富の差なんて言う暇もなく、生まれて間もなく命が危険にさらされるのではないだろうか?

 

生まれながらに生まれる差。

自分ではどうしようもない違い。

それを埋めるために、自分の出来る範囲で支援をする。

それが優しさだったり思いやりだったり。

そういうものじゃないのかなぁ。

 

何もかも贅沢だなぁーって。

自分に無理の無い範囲でいいから、支援とか募金ってしてあげたほうがいいなーって。

そう思う人が一人でも多く増えてくれればいいなーって。

 

そんな気持ちが少しずつでいいから広がってくれればいいなぁー。

最近良く、「サイコパス」って言われるんだが。

最近良く、「サイコパス」と言われます。

 

 

 

言われてどうなのか?

 

むしろ自分は一時期「サイコパスになりたい」と思っていたことがあった。

 

じゃあ、言われて嬉しいのかっていうと、それは複雑な気持ち。

 

なぜかというと、「サイコパス」についての正しい理解がされていないからである。

 

 

 

じゃ、サイコパスってなんなのか。

 

とりあえず、wikiでも参照してみましょうか。

 

精神病質 - Wikipedia

精神病質(せいしんびょうしつ、psychopathyサイコパシー)とは、反社会的人格の一種を意味する心理学用語であり、主に異常心理学生物学的精神医学などの分野で使われている。その精神病質者をサイコパスpsychopath)と呼ぶ。

定義[編集]

特徴[編集]

犯罪心理学者のロバート・D・ヘアは以下のように定義している。

オックスフォード大学の心理学専門家ケヴィン・ダットンによると、サイコパスの主な特徴は、極端な冷酷さ・無慈悲・エゴイズム・感情の欠如・結果至上主義、である[1]。現状では、チェックリストのみが診断基準であるので医学的にサイコパスと同じ状態であっても反社会性がなければサイコパスとはならない。反社会性などの診断基準を満たす者は幼少期からの素行問題など行動面の異常を示すことが多い[2]

 

 

 

この中で重要なのは「反社会性があるか?」って事が定義で取り上げられていることだと思うのよね。

 

基本的に自分は他の人に迷惑や不快感を与えないように努めているつもりで、少なくとも反社会的な言動をしているわけでもない。

 

アスペルガーの特徴でもある感情を表に出しづらい特徴を捉えて「サイコパス」といわれているのだろう。

 

 

 

 

んじゃ、自分はなぜ一時期サイコパスになりたいと思っていたのか。

 

以前読んだマーケティングの本にこうあった。

 

要約すると「サイコパス的な人とは、私情や感情に左右されず目的達成のために行動する人」と。

 

これを広義のサイコパスと定義し、一般的なサイコパスはそれに反社会的な行動が伴う人と。

 

 

 

感情に流されちゃんとした選択が出来ていないのではないか?と昔考えていた「自分は(反社会性の伴わない広義の意味での)サイコパスになりたい」と思っていたと。

 

そんなことを思っていたが、今はそう言われるようになっている。

 

 

 

ま。

 

いいのか、悪いのか。

 

それは、・・・どうだろねぇ。

第34回「ストーカー被害と警察の対応」(2016/10/26)

 

昨日、東京で24歳の女性を殺害したということで、50歳の元交際相手の男性を逮捕したという事件があった。被害者は今年の7月にストーカー被害について警視庁に相談をしていたらしい。

 

お互いの関係性などは知らないけど、ご冥福をお祈りいたします。

 

依然としてストーカー被害はなくならず、こういうストーカー事件があると「警察は何もしてくれない」という意見を耳にする。詳しくなかったので、実際にストーカー被害について警察はどういう対応をするのか調べてみた。

 

警視庁のストーカー規制法のページがあり、ストーカー行為の例と防犯の心構えというものがあった。

 

「つきまとい・待ち伏せ・押しかけ、監視していると告げる行為、面会や交際の要求、乱暴な言動、無言電話や連続した電話・ファクシミリ・電子メール、汚物などの送付、名誉を傷つける、性的羞恥心の侵害」がその例である。…こっわ。

 

じゃあ実際にストーカー被害にあった場合に、警察に相談を行うとどうなるのか。「現況」というところに記載があった。

 

「あなたの申出に応じて、「つきまとい等」を繰り返している相手方に警察署長等から「ストーカー行為をやめなさい」と警告することができます。また、警告に従わず、更に相手方がつきまとい等をした場合は、東京都公安委員会が「その行為はやめなさい」と禁止命令を行うことができます。」だそう。

 

基本的には警告と命令、みたいやね。その後繰り返すのであれば懲役・罰金。その下には注釈で、警告後はほとんどの人が行為をやめるが、定期的に被害者と連絡を取り合い適切な対応に努めることとすると書かれていた。

 

例えば、子供(A、B)同士で喧嘩し、AがBの親に「Bが悪い」と言って、Bが叱られる、という場面。その場合のBの気持ちは「なんで大人に言うんだよ」とむしろムカムカっとした気持ちが芽生えるのではないか。ストーカー被害者にとっての一番の恐怖は警告でエスカレートする事のような気がする。

 

基本的には警告と命令を行う警察。元々の存在意義ってなんだろう、とこれも調べてみた。

 

警察法第一章第二条によると「警察は、個人の生命、身体及び財産の保護に任じ、犯罪の予防、鎮圧及び捜査、被疑者の逮捕、交通の取締その他公共の安全と秩序の維持に当ることをもつてその責務とする。」とあった。

 

個人的にはストーカー被害で被害者の生命・身体を保護し犯罪の予防をする為の行為が警告と命令が最善とは思えない。

 

しかし、警察は何もしてくれないって警察官個人を責める気持ちにはなっちゃダメだと思うんよね。彼らも決められた法律・ルールの上で出来る職務を全うすることが仕事だと思う。各個人は「もっとこう出来るのでは?」と思っていても、職務の範疇を超えてしまうということで出来ないのかもしれない。

 

結局一番は自分自身で未然に防ぐことなんかな。でも、相手がいる問題なので、自分自身だけではどうしようもない場合もあると思う。身近な人に相談をするとかも必要だと思うし、社会としての対策自体はもっと整備出来ればいいのではないでしょうか。

 

 

第33回「これからの日本と今できること」(2016/10/25)

 

今日会社に戻ってから色々と調べ物をしていた。

 

お客さんのところで話してて、昔ロシアで外貨建て住宅ローンを組んでいた人がロシアの通貨価値が下がってしまい、住宅ローンが払えなくなってしまった、っていう話を聞いてそれを調べ始めたのが発端。

 

こういうちょっと気になった事を調べるのって、楽しいよねー。実際これもちょっと調べただけで色々と面白い話やデータがざっくざっく。

 

でね。最近よく読書をしていて、先日ツイッターで呟いた「すぐに未来予測ができるようになる62の法則(日下公人)」を読んでいるんだけど、今後の経済成長について書かれていた。

 

日本銀行の黒田総裁は経済成長のために物価上昇率を2%で継続的に推移させたいという話をしてるけど、なかなか上手くいっていないみたいで先延ばしをし、自分の任期までには難しいかもしれない、という発言が先日ニュースになっていた。

 

先ほどの本では経済成長を3%の成長を例に「3%成長をするためには、いくつかの方法があるが、まず、労働力人口が3%増えれば、今と同じことをしていても日本経済は3%成長をする」と書いていて、「あ、確かになるほどな」と思った。

 

でも、じゃあ現実はどうなのか?

 

で、感じた日本の危機。労働力人口って言うのはザックリ言うと15歳から65歳の人数(内、専業主婦や学生などを引いた人口)と言った感じ。ちなみに、2015年の出生率は1.46となっており、着々と人口は減少傾向にある。

 

何が怖いかと言うと、今後労働力人口は減っていく傾向にある。それに対し、少子高齢化というように、65歳以上の人の割合がどんどん増えてくる。このダブルパンチ。なんか想像したらおぞましいなーっと感じた。

 

高齢化とか人口とか。自分たち各個人ではどうしようもないと思う。では、何ができるか?というとせいぜい自分の身は自分で守る準備はすべきだと思うし、キチンと準備をしてますか?っていう話。

 

あと。とある方が「子供は3人以上産んだ方がいいですよ。2人だと自然死で人口は必ず減っていくので」と言っていた話を思い出した。その方がなぜこの言葉を言っていたのかも、少し意味が理解できた気がする。

 

今後の人生の準備をしよう。そして、価値観・年齢・体況上の問題などあるかもしれないが、子供を3人授かるのも良いのかもしれないね、っていう話。

 

 

第32回「人の『命』の重み」(2016/10/20)

 

何かを続けるにあたり「32」という数字って、何だかいいよね。日頃意識する数字の中で、自分の中では日付の「31」が一番見慣れた一番大きい数字かなーって感じなんで。

 

突然ですが、生涯年収っていくらか知ってます?「年収ラボ」というサイト曰く、例えば、大卒男性が2億5千万円、大卒女性が2億なそうな。(どうでも良いけど、ちゃんと考えて保険に入ろうね(笑))

 

この額どう思います?大きいとか、小さいとか。日々の生活や諸々の出費で消えていくとしても、やりくりして余剰金でなにしよー、とか。

 

今年の6月からとある募金活動が始まった。目標金額は2億9500万円。難病を持って生まれてきた女の子を救うために募金が開始された。

 

先ほどホームページを確認すると、「御報告・御礼」の文字。無事募金の目標金額に達成したらしい。6月から10月の4ヶ月間で約3億円。スピードもさることながら、募金の段取りの良さが物語られてるような気がする。たぶん縁の広がり何だろうな。

 

募金された方、またご家族ご親戚にとっては、これほど嬉しいことは無いんだろうな。アメリカで手術を行うそうなので、その無事を祈るばかりである。

 

で。

 

ここからは価値観とか倫理とか、そーゆー観点で俺ひでーって思われると思うけど(笑)

 

2億9500万円で一人の命。かけがえのない命。しかし、自分の中では2億9500万円で一人の命を救うことが本当に正しいのかどうか分からない。

 

誰が何にお金を遣おうが勝手だから良いんやけど。それだけの資金が集められるなら、本当はみんなもっと他の事にも募金できるんじゃないの?って言う不思議。

 

これは憶測だけど、よく「たった○○円で助かる命があります」って募金のやつ見るけど、一体2億9500万円あったら何人の命が助かるんだと。

 

理由は色々あるだろうけど、何か不思議で腑に落ちない。考えているととても合理的とは思えず、考えがずーっとぐるぐるする事例。

 

帰りにコンビニ寄って募金して帰ろうかね。せっかくなので。