人との距離感

明日は仕事だが、泊らしい。

電車で20分ぐらいの場所なのに・・・笑

 

昨日紹介した本を読み進めている。

自身の人とのかかわり方を形成する原因は母親と父親だそうな(主に母親)。

「確かに」と自分は思った。

 

むかーし。

自分が小さいころだったか。

兄が嫌いだった。

というよりも、苦手というべきか。

父親と母親もあまり仲がいいといえる状態ではなかったような気がしていた。

いずれ大人になったら真っ先に家を出ていこうと思っていた。

そんなことを自分は覚えている。

 

そこで思ったのは、兄であろうと父親であろうと母親であろうと、兄・父親・母親である前に一人の人間なのだと思った。

それと同時に一個人としてみることで「自分が生まれてからしか知らない人も過去に人生を持っている」という考えも得た。

ある意味これら考えが精神的に人と距離を置いてしまう原因になったのかもしれない。

 

ただ、それが原因で素敵な出来事もあった。

 

兄が苦手で、いつもけんかをしていた。

でも、弟だから力などで勝てるわけもなく・・・。

週末はいつも祖母の家にお泊りをして兄と距離を置いていた。

 

そんなふと「兄・父親・母親である前に一人の人間なのだ」「自分が生まれてからしか知らない人も過去に人生を持っている」という考えになり、お泊り先の父祖と祖母の出会いに興味を持った。

 

自分は祖父に聞いてみた。

「じーちゃんはなんでばーちゃんと結婚したの?」と。

その答えが自分は大好きだった。

「同じ職場で勤めていたときに、ばーちゃんが誰よりも早く来ていつも掃除をしていたんよ」と。

 

なんとも素敵な理由じゃないか!!

 

 

 

自分にもいずれ孫ができ・・・たとして笑

なんて言うんだろうなー。

奇跡

私は奇跡を体験した・・・。

 

我が家の扇風機。

それは何年も買った扇風機。

弱・中・強の扇風機。

 

でも、壊れてしまった扇風機。

弱が使えない扇風機。

 

・・・。

それがかえってギター弾いてたら直ってた。

何が起きたんだ。

 

つまり奇跡だろう。

 

 

よかった。

買いなおさなくていい。

得も言われぬ感情

「じーちゃんが死ぬ」

はっきりとその言葉を聞いたわけじゃないが、自分の心が揺さぶられた。

台風の中、一蘭の中・・・。

 

ふと考えると、じーちゃんのお姉さんが死んだ以来だな。

何年前だ?

小学生低学年ぐらいのときじゃないか。

少なくとも20年ぐらい前なのかね、人の死を間近に見たのは。

 

台風の影響で電車が止まり、帰るに帰れないことを相談すると、父親は車で駆けつけてくれた。

一緒にご飯を食べることになり、寄った一蘭での会話だった。

 

じーちゃん(父方。母方は自分が生まれる前に他界)が入院していたことは知っていた。

原因は腰の手術だったが、同時に肺炎を患っていたらしい。

この時点で、高齢者の死亡理由を高く占める病気ということで身構えていた。

 

肺炎のための薬を使う。

しかし、これはしばらくすると効果がなくなるらしい。

だから、もっと強い薬を使う。

でも、これもしばらくすると効果がなくなる。

では、その先に待っているのは・・・。

 

じーちゃんの娘(父親の姉)が病院に呼び出され、延命治療をするかそれとも・・・との確認をされたらしい。

父親は本人の意識もはっきりしていないし、そのまま治療を続けても・・・と回答し、姉もその意向を病院へ伝えたらしい。

 

つまり、死ぬ。

遅かれ早かれ、人は死ぬ。

でも、今回はそうじゃない。

割と早く・・・。

いつかは分からないが、・・・割と早く。

 

 

 

とりあえず。

会いに行けるときに、ちゃんと会いに行かないとダメだなー・・・。

久しぶりに

もう、毎朝のつぶやきでもないな・・・これ。

 

 

ちゃす。

ブログ書いていきます。

 

最近、私疲れてます。

俗にいう、「社畜」・・・でしょうか。

 

自分が選んでいない仕事をやらされる。

休みが出勤になる割に、振り替えもない。

辛いものだ。

きっと、僕は辛いんだと思う。

 

ここ最近は同じことを毎日して。

通勤も遠いから日付が変わって帰ることもある。

ちなみに、通勤は2時間から2時間半。

やっばいね。

人とのコミュニケーションにも疲れた・・・。

 

そんな時、ふらっと本屋による。

絵やイラストのコーナーに立ち寄り、ふと思いつく。

「そういえば最近、自分の趣味にちゃんとした投資をしてないぞ」・・・と。

思わず目に留まった本を2冊購入し、心が久々の充足感に包まれた。

 

それから、最近の興味のあることの書籍をamazonでちょいちょい買い、心を満たす。

 

そして、ふと立ち寄った本屋で平積みされていた本。

目に留まり、手に取り、中身をぱらぱら・・・と。

全然期待してなかったけど、これは買わないとと購入してしまった。

 

敏感すぎるあなたが人付き合いで疲れない方法

敏感すぎるあなたが人付き合いで疲れない方法

 

 

著者は20年近くカウンセリングで活動を行っているらしい。

文章も読みやすく、わかりやすい。

内容も非常に興味の引くもので、明確になぜ人付き合いに疲れるのかが書かれており、自分によく当てはまっていたので購入した。

 

その中で、他人軸と自分軸という言葉が頻繁に出てきており(詳しくは書内で)、他人軸になっていると疲れてしまうのだと。

それを自分軸にしていこうという内容で、その中の方法の一つが「ブログや日記をつける」ということであった。

 

なので、久しぶりに書いてみた。

 

よくよく考えると、大学時代にmixiをやっており、毎日自然と日記をつけていた。

その時は頭の整理もでき、充足感もあったような気がする。

 

 

 

さて、ゆるりと続いていけばいいなー。

気持ちの文章的表現(論理を添えて)

薄い勧誘の断り方・諭し方。

 

いやね、最近知り合った人と二人で会ってみたんだ。

そしたら、宗教的な勧誘を受けたんだ。

 

・すべてを知ることが出来る!

・相手の深い部分を見ることが出来る!

・人見知り?それを治すことも出来るよ!

 

さて、自分はなんと言ったか。

自分的にかっこよかったから記しとくw

 

①人見知りについて

障がいの診断について。

障がいは「本人が生きづらいと感じるか」が診断の基準のひとつである。

残念ながら自分は人見知りであるとは思うが、それで不便とは思わない。

不便と思ってないってことは、治したいとも改善したいとも思わない。

そんな自分でいいです。

 

②ハヤパンマンのことも深いところを見てみたい

深い部分を見るってことは、相手の裸を見ることに似てると思う。

セックスでもお風呂でも、相手の裸を見るのは相手が裸を見せてもいいなーって思ったときだけでしょ?

もし、俺があなたに「裸になって」って言って不快に感じるならば、俺はあなたの裸を見ることは無いでしょう。

つまり、俺が深い部分を見せようと思ってない限り、俺の深い部分を見るのは失礼です。

 

③感じたこと。

もしそういう技術があるなら、正しいことに使ってね。

じゃないと悪になるよ。

 

 

 

要約するとこんな感じ。

あー、楽しかった。

どーでもいいけど

自分って危険だなって思った。
危険。
そう、危険だなって。

2つ。

世の中には違いはあれど、間違いはないと思ってる。
人道的なものに反しない限り。

逆に言うと手段を選ばない。

そして、素直すぎる。
大切な人が傷つけられてたら、助けてしまう。
でも、自分自身、自分自身の気持ちに弱いから、その人のことをどれだけ大切と思っているか分からない。

結果どうなるかわかる?

大切な人の為には手段を選ばない。

一見すれば優しいかもね。
でも、あまりに危険すぎる。

魔法使いになりたかった…。

タイトル?

ま、言いたかっただけだ笑

 

30代になって一番効いた言葉は「もう20代じゃないんだね」的なこと。

30になったね!はなんともないけどな、もう戻れない的な表現は効くもんだ。

 

で。

事前に誕生日誕生日ゆーてたけども。

誕生日だからってどってことはないよなーっと。

 

誕生日ってどんな日かってゆーたら、本人は何も偉くもなく特別でもなく。

自分であれば30年前に母がお腹を痛めてこの世に生を受け、今まで生きてこれたことは出会えた全てのおかげで。

それを振り返るには良い日と思うんよねー。

神社でも行ってお参りしとけばよかったか。

来年はそうしよう。

 

20代長かったなー。

10代はそんなこと考えなかったけど、20代は長いね。

学生から社会人になり、人と出会い…。

一番動きが多く、今後の人生の基盤となる時期なんだろなー。

 

さて、自分はどんな30代が待ってるかねぇー。