『命、支援、募金』

いろいろと思うわけです。

 

今日久しぶりに髪を切りにいった。

ここ最近は「髪型をいつもと違うものに」を目標に、髪を伸ばしてみたり、ジェル使ったり、ワックス使ったり・・・。

でも、さすがに長くなりすぎたので、切りに行った次第です。

 

で、たまたま仕事先の近くに床屋があったから寄りました。

まぁ、なんというかそろそろ50年目に入るらしいところで、老舗という感じ。

今までで一番丁寧な散髪・顔そり・マッサージを受け、今後はココに通おうと思うぐらいファンになるという素敵なお店でした。

 

店主がこれまた面白い人で。

初めて行った床屋さんですよ?

大体最初の話題ってあるじゃない?

天気とか、仕事とか、ニュースとか、経済とか?

なのに、第一声「孫がウクライナにあるバレエ学校へ行っててですねぇ。暖かいものを送れって言うんですよ」って。

ぽかーーーん。

 

話を聞いていると。

小学校からバレエをしていた孫娘が、8月からウクライナのバレエ学校に行ったと。

ウクライナは北海道ぐらいの緯度にあり、今の時期はすごく寒い。

でも、国自体がそんなに豊かじゃないのか室内の設備が整っておらず、毎晩毎晩寒い思いをしているらしい。

毎日バレエの稽古をしており時間が無く、かつ、どこで何を売っているか分からず送ってくれとお願いしたそうな。

本人もすごく活躍しており、頑張っているって話を聞いて、「それは送ってあげたくなりますよねぇ」とか話しながら・・・。

 

最近仕事しててさ、「命」とか「支援、募金」とか考えるんよ。

ウクライナの話を聞いて、日本は恵まれてるなぁっと。

 

まず「人の命は平等に尊い」と定義する。

まぁ、あながち間違っては無いだろうし、倫理観にも則しているだろう。

「ぽっ」と新しい命が誕生した。

それは、日本?ウクライナ?アフリカ?

 

日本に生まれた自分は、衣食住に苦労せず生活が出来てる。

もちろん同じ日本に生まれた人同士でも貧富の差はあるが、死ぬなんて事はない。

 

もし、アフリカの地域に生まれたら、衣食住に苦労せず生活が出来ていただろうか?

貧富の差なんて言う暇もなく、生まれて間もなく命が危険にさらされるのではないだろうか?

 

生まれながらに生まれる差。

自分ではどうしようもない違い。

それを埋めるために、自分の出来る範囲で支援をする。

それが優しさだったり思いやりだったり。

そういうものじゃないのかなぁ。

 

何もかも贅沢だなぁーって。

自分に無理の無い範囲でいいから、支援とか募金ってしてあげたほうがいいなーって。

そう思う人が一人でも多く増えてくれればいいなーって。

 

そんな気持ちが少しずつでいいから広がってくれればいいなぁー。